硝子戸の中

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『泣くな、新栄』12.エメラルドマウンテンの味
『泣くな、新栄』12.エメラルドマウンテンの味



知らない間にトップウェーブ大須店に来て、
2年が経っていた。
『素晴らしい日々』のツアーも終わって、
「次に何かをやろう。」
というレーベルからの話の中で、
弾き語りのシングル『女の子』を出すことが決まり、
「何の曲やろうかなあ。」
とぼんやりと考え出していた頃。
実はこの辺りから
トップウェーブ大須店を辞めようと思っていた。
どう考えてもこれから先、
ここに一生いるわけにはいかないし、
何より明らかに自分がダメになって来ているのは
薄っすらとは分かっていたので、
違う環境に身を置かないと
このままズルズルと生き、
どの道ろくなことにならないと思っていた。
結局、
自分のことは自分が一番よく分かっていた。
もちろん環境が悪いわけではない。
ただ根が弱い人間なので、
中にいて変えられる気はしない。
そうなると
どうしても環境を変えるしかなかった。
とりあえず
パーマを当てっぱなしにしたまま、
ゴムで縛るくらい長くなった髪を切り、
半年間伸ばした髭を剃った。
何から始めたらいいのか分からず、
とりあえずそこから始めるしかなかった。

そんな5月のある朝、
事務所に行くとBOSSに
「今日、
女優と監督と
そのメーカーの流通を手伝ってる
アウトビジョンが挨拶に来るけど、
俺いねーから。
お前相手してやってくれ。」
と言われた。
いつも女優さんや監督が営業でお店に来る時は
必ずBOSSがいて対応もしていたので、
僕が1人で会うことはなかった。

「えっ、いいんですか?」

「いいも何も俺がいねーから仕方ないべ。
とりあえずお前は今日から店長代理!」

「えっ!」

その場でいきなり肩書きだけ上がった。
BOSSには言わなかったが、
やっぱり肩書きが上がることは嬉しかった。

渡された営業用の資料を眺めると
女優さんは全く知らない人で少しだけがっかりしたが、
監督はかろうじて分かる人だった。
ちなみにこうやって監督が直接来ることもあったが、
その機会は稀で、
来る場合は大体監督自身がメーカー(AV制作会社)も運営していて、
そのメーカーの宣伝を兼ねていることが多かった。
この業界で監督自身がメーカーを運営していることはよくあった。
アダルトビデオは男女の最低2人いれば作れるので、
わざわざどこかのメーカーに所属して、
作品の何割か利益を取られることを考えると
予算がフルで掛かるリスクはあるが
そっちの方がある程度ノウハウがあると
話も早かったんだと思う。
メーカーに所属してしまうと
アダルトビデオの監督とはいえ、
会社員になるので、
自分の撮りたい作品が撮れない
というジレンマもあると
営業に来たとある監督から聞いたことがあった。
自分で製作費や経費を背負ってまで、
アダルトビデオで撮りたい作品がある意味は
きっと作り手にしか分からないが、
アダルトも音楽も映画も
ジャンルはまるで違うが同じような世界ではあった。
ついでに話すが、
女優さんもタイプが大まかに2種類あり、
ちゃんとした事務所に所属し、
大手メーカー毎と年間数本単位の契約をしていた『単体女優』と
事務所に入っていても
ほぼ個人レベルでメーカーと交渉し、
音楽でいうところのインディーズのような
活動をしている
『企画単体女優』の2つが主流だった。
ただ今は昔ほどこの垣根はなくなり、
単体女優でも企画単体女優のような活動をする人もいれば、
企画単体女優(キカタン)なのに単体女優以上に
知名度や人気がある人もいる。
こういった個人メーカーの場合、
作品に出てくる人もキカタンが多かったので、
出演している女優さんを知らないことも多かった。

女優さんと監督が営業に来る日、
まずはその女優さんとメーカーの商品の棚の位置を変えた。
やはりお店の意向としては
せっかく出向いてくれるので、
ちゃんと売り場を確保しているところも見せたいところもあったが、
おそらく相手の目的もそこにあったと思う。
明日、照らすのアルバムが出る時もそうだった。
行ける範囲のお店は挨拶に行ったし、
行けない範囲のお店は電話をしたりして、
好印象を持たれるように努めた。
ものすごく草の根活動的な部分もある気はするが、
こういう小売業界で
1番大切なのは人目につく棚を確保できるかどうかなので、
陣取り合戦ではないが、
それを確保するためにも必要な活動だった。
元々、
タレント並みの人気女優ならいいが、
トップウェーブ大須店の場合、
サイン会ではなく、
営業の挨拶まわりに来るのは
割とマニアックなタイトルやハード物を主にする女優さんが多かったのも
その理由だと思う。
トップウェーブ大須店では
マニアックな商品は通常、
人気商品が乱立するレジ前ではなく、
3階に配置がしてあった。
3階は音楽でいうところのアンダーグランドなタイトルばかりで、
お店の棚の位置が分かるお客さんでないと
なかなか足を踏み入れない階でもあった。
また
あまりコンスタントに売れない分、
最初の価格設定も高かった。
僕が記憶しているもっともマニアックなタイトルは『上履き』で、
本当に女の子が履き潰した上履きを履いているだけのDVDだった。
内容は見たことがないので
裏のパッケージを見た判断になるが、
やけに汚れた上履きを履いている女の子が制服を着て出てくるだけで、
もちろん男性が出てくることもなければ、
服を脱ぐこともなさそうだった。
学生時代のコンプレックスを刺激するためのものだったのかもしれないが、
あれが欲しいとは思えない。
裏のパッケージを見ても
大きく太字で
「かかとを踏んだ上履き」
「汚く履き潰された上履き」
と書いてあるだけで、
「これのどこに興奮するんだろう?」
と疑問に思っていたが、
1回も売れたところを見ていない。
さすがにマニアックにも限度があった。

「店長代理の村上です。
店長代理の…。」
夜に来る挨拶まわりに備えて、
役職を伝える練習をしながら、
入荷の作業が終わると
レジ周りの棚を片付けて
新しく棚の場所を作り出した。
棚が出来上がると応接室の掃除し、
サイン色紙やチェキを用意した。
サイン色紙は店内に飾り、
チェキはDVDを買ってくれた人に付ける特典で必要だった。
サイン色紙の在庫を見ると
2枚しかなかったが、
「2枚あれば足りるだろう。」
とそのまま応接間に置いておいた。
夜になり、
予定の20時頃にレジで待っていると
1階から
女性と男性の賑やかな声が聞こえてきた。
夜にトップウェーブ大須店の店内で
女の子の声がすることは
ほとんどなかったので、
それだけですぐに分かった。
レジを早佐乙さんに任せ、
下へ降りて行った。
男性2人の後ろに女の子が1人立っていて、
僕に向かって3人が軽く会釈をした。

「お疲れ様です。
トップウェーブ大須店の村上です。」

「お世話になっております!」

営業の経験はなかったので、
いつもメーカーの人が会った時に言う
「お世話になっております。」
には慣れなかった。
まだ会って数分なのに
何のお世話もしていない。
確かにお店には商品を置いていたが、
お店に商品が置いてないメーカーが来た時にも言われたことがあり、
いつも疑問だったので、
お疲れ様ですとしか言えなかった。
ふと役職を伝え忘れたことを
思い出し、
「今日はオーナーのBOSSがいないので、
店長代理の僕が対応させて頂きます。」
と伝えると
おそらくただのアルバイトだと思われていたんだろうか、
監督とアウトビジョンの担当者が
慌てながら僕に名刺を差し出し、
受け取った後に変な間が空いた。
「ん?」
名刺の返し待ちだったことに
気がついたが、
そういえば自分の名刺を作ってもらうことを
すっかり忘れていた。
「すいません、今切らしちゃってて。
とりあえず棚見に行きましょうか?」
すぐに話題を変えて乗り切る。
「…よ、よろしくおねがいします。」
まだあどけなさの残る女優さんが僕に向かって、
文字どおりにぺこりと小さくお辞儀をした。
おそらく極度の人見知りなのだろう。
女子高生、女子中学生物を得意とする監督だったので、
出演する女優さんの年齢は確か18歳だった。
本当に高校を卒業したばかりにも見えるし、
肌の質感は僕と同い年くらいにも見えた。
ただ基本的にサバを読むことが
割と普通の業界だったので、
実際には分からない。
ただ普通にしていたら、
どう見てもこの業界に入るようなタイプではないことは確かだった。

棚を見終わった後、
応接室に案内をし、
女優さん用と監督用別々に
2枚の色紙にサインと
お店に飾るチェキを撮ってもらっている間、
下に降りて外の自動販売機で
缶コーヒーを買いに行った。
いつもBOSSがそうしていたので、
僕もとりあえず真似をした。
普段コーヒーは飲まないので、
何を買ったらいいのか分からなかったが、
大学時代に
コーヒーが好きでよく飲んでいた友人が
『エメラルドマウンテン』
をいつも買っていたので、
コカコーラの自動販売機で
エメラルドマウンテンとカフェオレを買った。
カフェオレを買ったのは、
女優さんが僕のようにコーヒーが苦手だと可哀想なので、
選べた方がいいのかなと思った僕なりの配慮だった。

「これ、良かったらどうぞ。
好きな方を選んで下さい。」

「いいんですか!?
あ、ありがとうございます!」
缶コーヒーが出てきただけで
ここまで感謝されるのかというほど、
3人からお礼を言われた。

「今日1日で何店舗か回ってきましたけど、
コーヒーが出てきたのはここが初めてです。
いやー、嬉しいなあ。」

女優さんと監督がカフェオレを取り、
僕と担当者はエメラルドマウンテンを取った。
サングラスを掛け、
白髪交じりの髭を生やしたなかなか強面な監督さんだったが、
カフェオレを選んだことが意外だった。
大人はみんなコーヒーを飲むと思っていたが、
そうでもないんだなと思いながら、
僕も缶コーヒーの栓を開けた。

「ぶっちゃけうちの商品はどうですか?」

「ユーザーさんから好評ですよ。
元々は3階のマニアックに置いていたんですが、
パッケージも可愛らしいので、
2階に置いたらちょっと動きがありましたので、
これからも続けるつもりです。」

「ありがとうございます。
各店舗さんを回って結構そういう直接的な声も聞けるし、
色々と反応があったので、
来てよかったなと思いました。」

「この後、まだ回られるんですか?」

「今日はトップウェーブさんで終わりです。この後は友達と飲みに行きます。
はははは、昨日も飲んでたんですけどね。」

「はははは、お忙しいですねー。」

隣で女優さんはただ目を丸くして、
色紙を見たり、
僕と監督の顔を交互に見ていただけで、
会話には入ってこなかった。
僕はただ必死でボロが出ないように努めた。
お客さんのことをユーザーと呼んだのは、
この日が初めてだった。
名刺もないくせに
店長代理として相手に見えるように
それっぽい言葉で会話をつないだ。
とりあえず大口で笑い、
リアクションもオーバーにしたし、
表情も笑顔を絶やさなかった。
和やかな空気が流れて、
会話も割と盛り上がった。
「意外といけるもんだなー。
俺、やれるじゃん。」
自分でもそれなりの手応えはあった。

「うわ、なんだ!?これ、どうして?」

そんな会話の途中、
監督が色紙を見て驚いて声を上げた。
不思議に思って色紙を見ると
監督のサインの上にコーヒーのシミができていた。
方向から見ても僕から飛んだものだった。
リアクションをオーバーにしすぎたせいだ。
一瞬気まずい時間が流れ、
女優さんがカバンからハンカチを出して、
色紙を拭いていたが取れるはずもなかった。
あの時、
2枚しかないことを分かっていたが、
買い足さなかったので
今ここに出ている分しか色紙はなかった。
内心冷や汗をかき、
「すいません、僕のせいです。」
と思っていたが、
結局僕は知らないフリをすることにした。
初めからそうだった、
うちの色紙は汚れてますよ、
知らなかったんですか?
という顔で、
その時、
「あー、まあ大丈夫ですよ。」
としか言わなかったし、
最後まで謝らなかった。
相手には申し訳なかったが、
この一時だけでもできる男を演じたかった。
ちらちらハンカチで拭いている女優さんと目があった。
多分彼女は気が付いていたが、
言わなかった。
「人見知りで救われた。」
と思ったが、
多分彼女だけではなく、
みんな気がついていたけど言わなかっただけで、
僕よりはるかに大人だっただけだった。
今でもたまに自動販売機でコーヒーを買う時、
なんとなくエメラルドマウンテンを買うと
「もうやめろー。早く話題かえろー。
言うなー、おい女、絶対に言うなよー。」
と願いながら無理やり笑って過ごした
この気まずかった空気と彼女の顔を思い出す。
結局、
サイン色紙は汚れたまま飾った。
監督は少し不満そうだったが、
汚れた部分を監督のチェキで隠し、
レジの横に飾ったのを見てからは、
満足したのか、
特に何も言ってこなかった。

帰り際、
エレベーターで下まで見送りに行くと
アウトビジョンの担当者に
「BOSS、
今日いらっしゃらなかったんですね。」
と言われた。
言われてみるといつも来ていたアウトビジョンの人とは違い、
初めて会う人だった。
話を聞くと
違うエリアの担当をしていた時から
BOSSの噂は聞いていて、
いつ行ってもいなかったが、
今回ようやく会えると思っていたら、
また会えなかったみたいだった。
「くれぐれもBOSSによろしくお伝え下さい。」
と言われたので、
「分かりました、必ず伝えます。
普段だとお店にいることも多いので、
またいつでもいらして下さいね。」
と答えると
監督が
「僕もまた必ず来ますね。」
と笑ってくれた。
それがただ嬉しかった。

次の日、
BOSSに会ったので、
昨日担当者に言われたことを伝えると
「おめーのタイミングがわりーだけだ。
って伝えとけ。」
と言われて会話はそこで終わった。
なんでそんな冷たい言い方をするのか
分からなかったが、
この1週間後にトップウェーブ大須店の閉店をBOSSから告げられた時、
全て納得がいった。
僕は認められて店長代理になった訳ではなかった。
BOSSは今は気まずくて、
メーカーに会えなかっただけだった。

3人が帰った後、
レジで1人
「今度、
次に誰か営業に来た時用に
BOSSにお願いして、
山のように色紙を用意しておこう。
予備はあるだけ絶対にムダにならない。
あと店長代理の名刺も。」
と思っていたが、
その必要はなかった。
結局、
あの色紙は汚れたまま、
1ヶ月飾られただけでその役目を終えた。







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